先 輩 を 訪 ねて
   このページでは,ことば・きこえ・LD通級指導教室の卒業生を訪ねて,その活躍を紹介します。
 私たちにはたくさんの先輩たちがいます。先輩たちの活躍は私たちの力となると思います。
 さて、今回の先輩は・・・
 
 
 
【第2回】
熊谷久義さん
釜石市中妻町で理容業を営んでいる


 久義さんは昭和30年生まれで現在59才。理容所はお父様が昭和27年に開業して現在に至っているそうで久義さんは2代目だそうです。口蓋裂があったことで,ことばの教室にかかわっていました。
 
   平成26年12月の午後、お店に訪問しました。突然の訪問にも気さくに対応していただきました。実は久義さんとは20数年前に一度だけ、私が盛岡の桜城小学校に勤めていた頃お会いしていました。そういうこともあって、すぐにインタビューにも応じていただきました。
 まず、ご本人の現在のお仕事についてお聞きしようとしたところ「その前に、菊池義勝先生の話をしなければ」ということで、菊池義勝先生との出会いがあった小学校時代のエピソードから始まりました。
 
   久義さんは小学校入学前お姉さんから「小学校にはおっかない先生がいる」と言われていたそうです。実はその先生こそ菊池義勝先生(初めて岩手のことばの教室担当になる先生)で、お姉さんの担任だったそうです。

〜この話が始まったところでお客さんが来店。やはりお忙しいお店のようで、また、今度は年明けにお邪魔することにしました。〜

「前回はどこまで話しましたっけ」
「義勝先生がおっかないって話です」
といったやりとりから始まりました。
   
 
 菊池義勝先生がことばの教育に入っていくきっかけが、自分のクラスの子どもではなく、隣のクラスにいた熊谷久義君(当時小5?6?)の発音が気になったからというのは有名な話です(※県親の会10周年記念誌参照)。体育の交換授業の時だけ関わる久義君の発音を何とかしたいという思いからこの世界に入られたその当時のエピソードをお聞きしました。
  
 
     「鉄棒の授業の時、模範を示すには他にもっと上手なのがいたのに、義勝先生はあえて自分に指名した。鉄棒の技はうまくできても、その技の説明は何を言っているのかわからない。友達は、いつものようにからかっていたが『うるさい。黙って聞け』と義勝先生は一喝してくれた。それ以来いじめにあうことはなかった。」

「また、学芸会(学習発表会)の劇では『久義にもしゃべらせろ』と言ってくれて、自分にも居場所を作ってくれて、活躍の場を設けてくれた。
 
「その後、話すことに自信が付き、弁論大会にも出た。マスコミも取材に来ていたので、あちこちからファンレターが届いたが、自分は義勝先生にほめられたのが一番うれしかった。」 
これらのお陰で、今でも人と話すことに全く抵抗なく話せるそうです。結婚できたのもそのお陰といった展開で盛り上がり、奥さんとの馴れ初めもお聞きしました。
 久義さんはこれまでに4人の女性にアプローチしたそうです。それぞれの女性と少し親しくなると「自分は口蓋裂で言語に障がいがある。訓練して話せるようになったが、結婚して子どもが生まれたら自分と同じ障がいを持つかも知れない。」と話したそうです。3人の女性はそれで離れていったが、4人目の女性はそれでもいいと言ってくれたそうで、その方が今の奥さんだそうです。
 現在では,19才を筆頭に17才、15才、7才と4人のお子様にも恵まれ、笑顔の絶えない幸せな家庭といった印象をうけました。

 最後にお仕事で大事にしていることは の問いに
予想はしていたのですが、やっぱり『人とのコミュニケーション』ということでした。
 コミュニケーションは単に発音の問題ではなく、コミュニケーションする人の気持ちこそが大事であることを実感した取材でした。


(訪問日 平成27年1月 訪問者 元きこえとことばの教室担当 杉本光生先生でした) 
 
         
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 【第1回】堂田祐輔さん